僕の自己紹介と想い(安澤薫)

自己紹介と僕の想い

みなさんこんにちは!

セルフクリエイトのかおるです。

 

今更ながらですが、僕の生い立ちや
なぜカイロプラクティックをやっているのか、

どんなことを想っているのかなどを
お伝えできればと思ってこの記事を書くことにしました。

 

少しでも僕のことを知っていただけたら嬉しいです。
長文になりますがお付き合いください。

自己紹介

改めて、安澤 薫(あんざわ かおる)と申します。

1986年4月25日に神奈川県秦野市で生を授かりました。

体を動かすことやキャンプなどアウトドア全般が好きで、
サウナに週に1回は行くほどのサウナ好きです。

 

両親がスポーツ好きだったことから
幼少期から色々なスポーツをする機会が多く、
いまだに毎日体を動かすことが多いです。

 

そんな僕が人生で多くの時間を費やしてきた
スポーツが「レスリング」でした。

僕のレスリング人生

小学5年の頃に
父親の影響でレスリングを始めた僕は、
いつしか父親の背中を見て
レスリングで日本一になりたい
という夢を持ち始めました。

 

もちろん初めは右も左も分からないまま始めた
レスリングでしたが、

日々練習を重ねるにつれ
徐々に上達していき、全国大会が近づいてきました。

 

そんな中、スポーツ推薦で高校へ行った僕は
高校生活の大半をレスリングに費やしました。

 

ただ、常に身体を酷使していたため
腰や肩、背中は常にダメージがあり
ごまかしながら練習に励む日々の繰り返し。

 

どうにかして身体を良くしたかったので
有名な整体師やマッサージ師、ハリや鍼灸など
ありとあらゆる治療を行うようになりました。

 

しかし、その日は軽くなったものの
翌日になると元通り。

 

痛みの原因が一向に分からないまま
だましだまし練習を続けていました。

 

この痛みはこれからも一生付き合うものだと
諦めかけていたところ、
僕の痛みを見かねた母自らが
自分で治療法を見つけ出し、
僕に施してくれました。

 

そうするとみるみるうちに
痛みが軽減され、3か月ほどで
痛みを感じなくなったのです。

 

後に分かったのですが、
これが「カイロプラクティック」
だったのです。

 

行った治療は、
骨格の調整と正しい栄養素の摂取と
睡眠環境の改善でした。

 

行ったことは
とてもシンプルなことでしたが、
藁にも縋る想いだった僕からすると
神の一手だと信じざるを得ませんでした。

 

母は、僕の知らないところで
知識や技術を身につけ僕のために
時間とお金を費やしてくれていたのです。

 

その甲斐あって、僕は高校生で全国一に
なることができました。

僕一人だったら絶対にこの成績は残せなかったでしょう。

母には本当に感謝しかないです。

 

そして、
これをきっかけに次はオリンピック
目指すことになります。

 

大学もスポーツ推薦で入学し
高校と同様、ほとんどレスリング漬けの毎日。

 

時に、
楽しそうな大学生活を送っている友人をみて
羨ましいと思うこともありましたが、

自分の夢のためには必要な犠牲だと
心に言い聞かせながら練習に励んでいました。

 

大学でも日本一を獲り、海外での試合経験も
積みながら一歩ずつオリンピックへの道が
近づいている気がしました。

 

そして、実業団からオファーをもらい
大学卒業後もプロ選手としてレスリングを
させていただける環境もいただき
より一層オリンピックへの気持ちが強くなりました。

 

しかし、現実はそう甘いものではなく、
オリンピック選考の3か月前に練習中に
大きな怪我をしてしまい、
入院することになりました。

 

ここでもう僕の気持ちは切れてしまい、
オリンピックへの道を断念することになりました。

 

苦渋の決断ではありましたが、
こればかりは仕方なく
心にポッカリ穴が空いた感じでした。

 

日本に居たくなかった僕は
現実逃避として一人で海外に行きました。

とにかく誰も知らない土地で自分一人になりたかったのです。

 

海外での生活が1か月経ち、
心も安定してきたときに
改めて自分はこの先
「何がしたいのか」
という問いが降ってきました。

 

その時に、
「下ばかり向いてないで
次また違うところで頑張れ」
と別の自分が自分にエールを送ってくれたのです。

第二の人生のはじまり

レスリングでの人生に終止符を打った僕は、
次の人生として社会で活躍するということを
掲げました。

 

レスリングで培った強い気持ちや
諦めない精神を社会でも活かしていく
という意思が固まった瞬間でもありました。

 

このとき、僕の人生を大きく支えてくれた
カイロプラクティックを仕事にしよう
心に決めたのです。

 

ただ、社会人経験が一切ない僕は
何から始めればいいか分からなかったので

カイロプラクティックの資格を取得したうえで
一般企業で学ぼうと思い、
まずは一般企業に就職をしました。

 

就職先の企業では、
webマーケティングの仕事をしながら
休みの日にカイロプラクティックの
勉強をする日々を送りました。

 

その結果、
徐々にカイロプラクティックの技術や知識が
身に付き、患者さんの数も増えてきて、
いつしかサラリーマンの収入を超えていました。

 

このとき、
会社を辞めるという選択肢がありましたが、
僕を拾ってくれた会社に大きな恩もあることから
しばらくはその会社で働くことに決めました。

 

しかし、とても良い会社だったのですが
自分のやりたいことと、会社員でできることに
どんどん差が生まれてくるようになりました。

 

ずっとこのまま自分の気持ちに嘘をついて
過ごし続けていいのか、自問自答の日々でした。

 

このままではいけない、と思い
代表に自分の気持ちを正直に伝えたところ、

「お前がやりたいことをやれ」
「全力で応援している」
と温かい言葉をかけてくれたのです。

 

これがきっかけになり、
僕は会社を辞め独立することになります。

 

代表とは、いまだに月に2回ほど会う
良好な関係を保てていて、
本当に感謝しかないです。

カイロプラクターとしての今とこれから

会社を辞めてからは、

奥さんとともに、
カイロプラクティックを通じて
人の健康を支援すること
日々全力で取り組んでいます。

 

とにかく一人でも多くの方のお悩みを
解決するために、

前職で培ったマーケティングの力を使って
人を集めたり、イベント活動をしながら
カイロプラクティックの普及に努めています。

 

実は、僕が会社を辞めて独立する一押しが
奥さんも一緒にカイロプラクターとしての道を
目指すと決めてくれたことでした。

 

夫婦二人三脚で自分の人生を変えてくれた
カイロプラクティックの仕事をできることに
大きな感謝をしながら毎日を生きています。

 

少し飛躍した目標にはなりますが、
僕がこれから目指していきたい世界観は
「平均寿命と健康寿命の差を無くす」
ことです。

 

男性では9年、女性は12年と、
平均寿命と健康寿命の差があります。

 

これは約10年もの間、健康を失いながらも
生き続けるということにもなります。

 

健康が全てではないが、
健康を失うと全てを失う

という言葉があるとおり、
健康で居続けることが何より大切で、

自分の人生をより良くするためには
健康なくして語れません。

 

だからこそ、予防医学としての
カイロプラクティックを普及させ
少しでも社会に貢献できればと考えています。

 

これからはカイロプラクティックを
人生に取り入れたいと思う方と一緒に
活動をしていき、もっと良い日本に
していきたいと考えています。

 

少しでも僕の考えに
共感してもらえたら嬉しいのと、
自分もカイロプラクティックを取り入れたい
と思う方は是非、僕が全力でサポートします
のでお気軽に言ってくださいね!

 

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では、こんなところで僕の自己紹介と想いを終わらせていただきます。

 

ご覧いただきありがとうございました!